3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第14次元  龍神の導き!?――雨上がりの霊能紳士。

なぜか私が外に出ると雨が降り出すというパターンが、今年の梅雨は頻発しました。仕事を終えて外に出た時には小雨程度だったものが、自転車を漕ぎ始めて2、3分経ったあたりで突如大雨に変貌する、といったことが二日連続で起きたりもしました。龍神の惜しみない愛でござんしょう。

 

さて、こうして大雨でびしょびしょになると、必ず思い出すエピソードがあります。前回お話しした「グレートリセットを生き延びた貴重なデータによりますと年前、201年9月のこと

当時札幌近隣在住だった私は、関西一円を4、5日かけて旅したのですが、その中でどうしても行きたいスポットの一つに「竹生島ちくぶしま」がありました。琵琶湖の北部に浮かぶ小さな島で、弁財天をはじめ多くの神が祀られている、知る人ぞ知るパワースポットであります。

 

京都の宿(ネットカフェ!)を早朝に発ち、船の出る滋賀県は長浜というところまで電車で行き、午前中に参拝を終え、京都へ戻る途中に琵琶湖南岸の彦根に寄り、城や白猫的なやつを堪能し、あとは適当にぶらぶらして、夜に京都へ戻る。そんな予定を立てていたのですが……。

 

朝5時から、ぱらぱらと降り始めている。軽く濡れながら近くの駅まで歩き、電車に揺られること約2時間。長浜に降り立った私を迎えたのは、龍神からのあまりにも熱烈すぎる祝福でありました。

呆然としつつも、帰るわけにもいかず、とりあえず合羽着てびしょびしょになりながら船着き場へ向かうわけですが、着いてみればまあ案の定、9時くらいに出る第1便の欠航の報せが掲示されていました。

 

びしょびしょになりながら頑張って時間を潰して、次の便が出る10時くらいに待合室へ向かう。欠航。次、11時、欠航。

この辺りで、私は一つ決断を迫られます。このあとに予定していた彦根城との兼ね合いで、どちらか一方を取り、他方を諦めることを、そろそろ考えねばならない時間が来ていたのですが、厄介なのはこれが単純な二択ではないこと。今ここで竹生島を諦めて彦根に向かえば、天候に左右されない彦根城の見学は叶うんでしょうけど、彦根を諦めたからといって竹生島上陸が叶うとは限らない。一にも二にも、雨が落ち着いて船が出なければ、島には上がれません。つまり、竹生島を取ることは何の根拠もデータもないギャンブル、山勘だけが頼りの大博打にほかならないのです。

 

で。

打つわけです、大博打。何だろう、フリテンリーチみたいなもんすかね。皆様も一度くらいおありでしょういざリーチかけようって時に自分の捨て牌見て「あ……」ってなったこと。

……忘れてください。

とにかく、少なくとも理屈の上では相当に分の悪い勝負に出た。負ければ「滋賀県には濡れに来ただけ」という大変残念な結果に終わるわけですが、それでも竹生島に賭けた。リーチかけちゃった。ただ。

勝てそうな気が微塵もしなかったら、いくら無鉄砲な私とてこんな勝負はしません。つまり。

この時点で「何となく行けそうな気」はしていたのです。

無論、何ら根拠はありません。予測も計算も立てようもない、いわば「直感」による決断でした。

 

この「直感」こそが最も頼れる道標、最も信ずべき内なる声であることを、この年後、東京のヒーリングスクールで学ぶことになろうとは、この時の私には想像にすら及ばぬことでありましたが今になって思えばちょっとそれを示唆していたかのような、ある種象徴的な出来事を、このあと私は経験するのであります。

 

出航時間が近づいては待合室を訪れ、欠航を知っては当てもなく彷徨う、というのを何回か繰り返しているうちに、おそらく私と同じことをしているであろう人の存在に、実は気づいていたのです。黒い服の年配の男性。向こうが私に気づいているかどうかはわかりませんが、私の見る限りこんなことをしているのは私たち二人だけなので、あるいは目に入るくらいはしているかもしれません。

 

その間も雨足は衰えることなく、早めの昼食を摂りに一旦駅のほうへ戻り、食事を終えてもう一度船着き場へ向かう道すがら、さすがにちょっと弱気になったりもしたのですが。

船着き場近辺に戻ってしばらく時間を潰すうち、徐々に雨足が弱まり、雨雲も薄くなり、晴れこそせずとも、希望が見え始めます。そして。

 

ついに「その時」が訪れるのであります。

午後1時台からの出航の報せが、待合室に掲げられたのです。

伸るか反るかの大博打に、直感に賭けて勝利を収めた私は、その喜びをかみしめつつ船に乗り込み、夢にまで見た竹生島上陸を果たしたのでありました。

 

この頃には雨はすっかり上がり、雲間から青空がのぞくほどに天候は回復しました。島の各所に社殿や祠などがありますが、何と言っても島全体が聖地。雨上がりの御神気を存分に浴びながら巡り歩いておりますと、少し先に見覚えのある人影。そう、私とともに雨の中出航を待ち続けていた、黒衣の紳士。待った甲斐ありましたねえ、フリテンリーチかけてよかったっすねえ、と心の中で勝手に健闘を称え合っていると、テレパシーが通じてしまったのか、黒衣の紳士がこちらへ近づいてくるではありませんか。俺はフリテンリーチなんかしてねえ! とか怒られんのかと思いきや、当然ながらそんなことはなく、穏やかに声をかけてくださいました。

 

「来られてよかったですね」

やはり私に気づいていたようで、互いに上陸を祝しつつ二言三言、言葉を交わすうち、かの紳士はこんなことをおっしゃいました。

「私は大阪から来たんですけど、実は50歳を過ぎた頃から霊力に目覚めて、今日どうしてもここに来るように呼ばれてたんですよ」

 

おお、すげえ。ほんとにあるんだそういうの、と心の内で興奮する私に、かの紳士はさらに続けます。

 

「あなたも呼ばれたようですよ」

 

またまたぁ~、とか一瞬思ったけど、表情にしろ声のトーンにしろ、とても冗談やリップサービスで言っているようには見えない。というか、知らないおじさんが知らないおじさんを騙したりおだてたりすることに、一体何の意味があろうか。

私にしても先に申し上げたように、非常に分の悪い選択をしてまでここに来たいという、冷静に考えれば非合理的な願望を持っていたことは間違いない。よって「呼ばれた」というのもまあ、そんなことも、なくはないのかねぇ……。

 

そんな話を師匠にしてみると、軽く「ほんとなんじゃない?」とした上で、新たな解釈を与えてくれました。曰く。

「大雨は場合によっては『人払い』として働くことがある。その日その時、本当に来たい、あるいは来る必要のある人だけが来られるように、という神の計らいよ」

 

改めて思い返せば確かに、私のパワースポット訪問時の降水確率は決して低くない。それらを羅列するだけでもひとネタいけそうな気がするのでここではあんま言いませんが、結局行けなかった、という経験もあります。その時は雪でしたけど。

 

かの黒衣の紳士とは、それきり言葉を交わすことはありませんでした。5年前、フリテンリーチの大勝負に出たあの日の私は、その2年後に東京へ居を移し、さらにその2年後にヒーラー修行を始めるわけです。無論、この出来事が直接作用したわけでもないのでしょうが、これを含めた数々の「ちょっとした経験」の積み重ねが、私を今ある場所へ導いたのだと、今の私にはそういう解釈ができるのです。人の運命を変えるのは何も一つの劇的な経験とは限りません。一日で人生が一変する人もいれば、日々少しずつ、何かに呼ばれ、導かれて変わっていく人もいる。そういうことなのでありましょう。

あとになって実は導きであったと気づくことが、これからはもっとタイムリーに気づけるようになるのだろうと、そんな気がしている今日この頃であります。というわけで。

 

彦根に未練はない!

……わけはない!!

 

 

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第13次元  電脳浄化(?)――思ひ出たちよ、さらば。

栄光の六畳一人暮らしの終焉、そして故郷の街に舞い戻るまでの顛末を前々回前回と綴って参ったわけでありますが、おかげさまで新生活もどうにか様になり、また師匠の元でのヒーラー修行もしれっと続けることができました。まことありがたきこと。

 

そんなスピリチュアルな学びの中でも一つ、基本となる概念があります。それは。

 

今自分が目にしている現実は、すべて自分の意識が作り出したもの。

 

いつの日かこういったことを私自身の言葉でしっかりと皆様にお伝えできる日が来ることを願いつつ日々学んでおる次第でありますが、今日のところは師匠の受け売りの横流しっす。すいやせん。

 

とはいえこのような言葉を日頃から心に留め置くだけでも、自分の生活や生き方に対するスタンスは変わってきます。例えば何かちょっと好ましくないようなことが起きた時でも、ただ「ついてねーなー」で終わらせるのではなく、ならばそのついてねー状況は、己の中にあるどんな意識が反映されたものなのかと、そこまで考えてみるのです。

 

で、そんな時こそがこのブログでも度々ご登場いただく「ハイヤーセルフ閣下」の出番だったりします。3次元の頭、思考では答えを出せない問題を、より高次の存在に投げかけてみる。イメージが難しければとりあえず「天の声」あるいは「中の人」に聞いてみる、と思っていただければよろしゅうございましょう。

 

かく言う私も常に明確な答えを得られるわけではありませんが、何かにつけこういうことをする習慣が身につくと、高次の存在との繋がりも強くなり、メッセージもより明瞭なものとなる、ということでありましょう。まずは「起きたことには意味がある」という意識をしっかり持つこと。そして──

「起こしたこと」もまた然り。

 

つい先日のこと。新居に光回線が開通し、WiFiで繋がるあれやこれやを大方セッティングし終え、最後に残ったのが無線ハードディスク。こいつが使えるようになればすべて完了、旧居でのネット環境が完全に復元され、これまで撮りためた写真や、取り込んだ音楽、動画などもワイヤレスで閲覧、視聴できる。設定もさほど難しくはない、はずだったのですが。

 

なぜかうまくいかない。スマホタブレットは繋がるのに、パソコンだけがどうやっても繋がらない。一番使うやつが繋がらないんじゃあしょうがねえ、ってんであれこれやってみるも、塩梅はよろしくない。

 

うーん、あれぇ、おかしいなぁ……。

 

勘のよろしい方なら、いや、特別よろしくない方でも、もうこの時点でなんか、嫌な予感しますよね? というか、嫌な予感しかしないでしょ?

 

処理中の「グルグル」、なんでこんな長いのかなぁ、こんな長いこと、一体何の処理してんのかなぁ……。

 

この「グレートリセット」により、15年以上に渡って収集した写真や音楽などのデジタルデータを、私はほぼすべて失ったのでありました。

 

己の手で起こしたとはいえ、予期せぬ惨事。深い深い絶望の底で涙を枯らし三日寝込む、かと思いきや、実際そんなこともなく、私は自分でも不思議なほどに淡々と、事実を受け入れていました。せいぜい「あ~やっちったな~」くらいのもんです。

 

さらに淡々と事実を整理すると、音楽に関してはデジタルプレーヤーに主要なものをコピーしてあるので相当数残っているはずだが、無論すべてではない。一方写真は今スマホに入っている最近のもの以外はすべて消失した。あとは……わかんない。何入ってたっけ?

 

言ってしまえばこんなもんなんです。第11次元で記したように、売ってしまって手元に残っていないCDも少なからずありますが、どうしても欲しければまた中古とかて買えばいい。写真にしても趣味と言うほど凝っているわけでもなく、(修行の!)旅の記録として撮った程度。それはそれで大事なものだけど、それが消えたからといって記憶や思い出が消えてしまうわけでもありますまい。そしてそれ以外に「あーあれなくなっちったのかー!」と残念がるようなものは、正直そんなに思い当たらないのです。

 

さて。

「起きたこと」さらには「起こしたこと」には必ず意味がある、と先に申し上げました。

ならばこの「グレートリセット」にも当然意味があるはずで、我々はそこから学びを得なければならないのです。では早速、ハイヤーセルフ閣下にお尋ねしてみましょう。

 

ますはやはり「要らない物を手放す」という流れが徹底してあり、それが形のない「情報」の範囲にまで及んだ、ということであります。本や服など物質に限らず、「データ」という非物質的なものであっても、不要な物をため込むことは波動の鈍化に繋がる、ということなのでしょう。むしろ非物質的ゆえに、整理や処分の必要性を感じにくく、無意識的にため込んでしまいやすい、というのがデジタルデータの特徴と言えるかもしれません。

別にため込んだってハードディスクが膨れ上がるわけでもなし、最悪容量いっぱい使い切っても、金額にして1万円程度、スペースにしてお弁当箱1個分程度の余裕があれば、買い足して済ますこともできてしまう。写真にしろ音楽にしろとりあえず無造作にぶち込んで、その後一生見ない聴かない物がいくらたまっても、そんなに困ることはない。

 

ただ、波動は確実に重くなりますよ、という話。物質であれ非物質であれ、要らぬ物は持たぬに越したことはありません。とにかく今必要ない物を手放し、波動を少しでも軽くすることが、今の私にとって重要なことで、その意識の反映が今回のこの「グレートリセット」ということなのです。実際「グレートリセット」後の今、改めて思い返してみても、自分が何を失ったのかよくわからない。逆に言えば私が失った物の大半はよくわからない物、すなわち「今の私に必要ない物」だったということです。

 

無論、消失が惜しまれる物もなくはないのですが、それらの中でも必要な物は必要なタイミングでまた必ず手に入るのです。それより何より、今の私に必要ない、そしてなかなか処分する機会のない「データ」という物を、多少荒っぽい手段ではあったけど、存分に手放すことができたことを、しっかりと喜ぶべきでありましょう。

 

ついでにもう一つ学んだことがあるとすれば、それは「すべての卵を一つのかごに入れてはいけない」ということ。

投資などにおけるいわゆる「一点買い」の危険性を説く際によく使われる表現ですが、これは大容量デジタルストレージにもそのまま当てはめることができましょう。

「3テラのやつ一つ買えば一生分入るんじゃね?」とか言って何でもかんでもそれに放り込んで、その3テラのやつ一つが壊れたりグレートリセットされたりすれば、一生分のデータがたちまちおじゃんになる。

当たり前と言えば当たり前のことだけど、それに備えて何かするかっていうと、しないんだよねえこれがさ。

 

「俺のハードディスクは壊れたりしない!」

「わたしはそんな馬鹿みたいにグレートリセットなんかしない!!」

 

そうお思いのみなさん。

 

あるんですよぉ。

起こるんですよぉ、グレートリセット

気を付けましょうねぇ。

 

最後に念のため、あくまで念のため、一応申し上げておきます。

 

グレートリセット」とは「大容量記憶媒体の偶発的初期化」のことではありません。あしからず。

 

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第12次元  風の時代――からの、「ふりだしに戻る」

2020年の暮れに部屋の中のいらない物を容赦なく売り飛ばし、身も心も軽くして風の時代を迎え、さらにまあまあのお小遣いもゲットして、無事に年を越すことができました、というのが前回のお話。大変にありがたいことではありましたが、しかし予断を許さない状況はまだまだ続きます。

 

実はこの時期しばらく職にあぶれておりまして、埋蔵金は減る一方。2月に入ってようやく仕事にありつくも、新たな職場はカオス過ぎてとても長続きしそうにない、というか、したくない。というわけで再び職探しを始めた頃。

 

母親から電話がありました。

私の家からは徒歩と電車で1時間半ほどの、さほど遠からぬところに住んでいますが、このご時世ということもあり、今年は正月に親族一同会することもなく、おそらく丸一年ほどは会っていなかったでしょうか。

要件はというと、母親のほうの事情をここであまり詳(つまび)らかにすることはできませんが、早い話、また一緒に暮らしてはくれまいか、ということでした。

 

私としては、3年前にようやく掴んだ一人暮らしの機会を手放すことに、ためらいがないはずもない。とはいえ母親の今の境遇や、コロナ禍でちょっと参っている精神状態などを斟酌すると、無下に断るわけにもいかない。仮にこの話を受けるならば、諸々の事情からして各々今の住居を出て、かつ今の母親の住居に近いところで新たな住居を得る、すなわち私が今暮らす街から出る、という運びになろう。一応都内だけど都心からはちょっと遠くなり、また住み慣れた今の街を離れるのはちょいと寂しいけど、それ以外の選択肢は事実上ない。

ただ考えようによっては、この流れは今の私にとってある意味、追い風ともなり得るのではなかろうか……?

話しながらつらつらとそんなことを考えた結果、私はその場で、実にあっさりと、母親の申し出を承諾してしまいました。

 

そう。追い風はとうに吹いていたのです。

去年から。

 

「物を減らしたい」という意識はわかりやすく引っ越しに結びつくし、第10次元でちょっと触れた「都心に遊びに出たい気持ちが薄れた」というのも、都心から離れることへの抵抗感を和らげるための、ハイヤーセルフ閣下の仕業によるものだったのかもしれない。またこのタイミングで速攻辞めたいカオスな職場を選んでしまったのも「速攻辞めやすいように」という閣下の思し召しだったのかもしれないし、それも含めた経済的停滞も、私は私で親に頼らざるを得ない、つまりは「断れない」ように閣下が仕組んだ罠(!?)だったのかもしれない。

 

そしてもう一つ、おそらく最も強く感じたメッセージ、それは。

 

――学びを続けるべし。

 

実はこの時、師匠の元での学びに一度区切りをつけようと考えていました。

およそ半年に渡ってヒーリングの技術を学びつつ、それに伴って今までの自分の中にあったありとあらゆる意識と、それらが作り出してきた現実を見てきたわけですが、それは当然、これまでの生き方在り方を根本から見直すという作業でもありました。

半年というのはそれなりの期間ではあるけど、40年続けた生き方在り方が変わる時間としては、かなり短い。変化の体感速度たるやまさに矢の如し。そのスピードにちょっと戸惑いを感じていたので、ここらで一旦落ち着いて、ここまで学んだことを整理し、自分がこれからどうしたいのか、行く行くヒーラーになりたいのか、はたまた学んだことを何か別の形で表現したいのか、じっくり考えてみよう。正直なところ「財政再建」もせねばならぬし。

そう思っていたところでして、実際師匠にも、ともに学んだ仲間たちにも、その旨をすでに伝えてあったのですが。

 

母親と電話で話しているうちに、大した根拠もないけど、引っ越した先で何やっていくら稼ぐとか、具体的な当てなんかなんにもないんだけど。

 

……なんか、いけんじゃね?

いけんなら、やるしかなくね? 今でしょ!

 

と、うっかり思ってしまったのでした。

強いて言えば、一人暮らしよりは出費は減るだろう、くらいのあほみたいな打算があったのみですが、何よりもそこに「流れ」を感じ、決断なんていう大袈裟なものもなく、ごく自然に、当たり前のようにそれに乗っかった、というのが本当のところ。これからどうするかは学びながら考えればよいし、やってみたいことがあれば学びながらやればよかろう。とにもかくにも「今」なんだ、というメッセージが、この追い風には託されていた、ということでありましょう。これが風の時代の流れというなら、とことん乗ってやろうではないか。

 

というわけで私は速攻カオスな職場を辞し、これも風の時代の流れか、新居も速攻で決まり、地獄のような手続きの嵐と、懲役のような荷造りの山を乗り越え、新天地に降り立ったのであります。

 

いや。

新天地という表現は適切ではないかもしれません。というのも。

私が降り立った街は何を隠そう、私の故郷なのであります。

 

吾四十三戻振出。

われ四十三にしてふりだしに戻る。

 

かの有名な孔子の言葉、ではありません。私が勝手にそれっぽく作りました。ふりだしとかないし孔子の時代たぶん。

とはいえこの歳になってよもや故郷で暮らすことになろうとは、3年前に上京した時には夢にも思いませんでした。これもまた運命であり、風の時代の導き。人の世とはかくも面白きものなり、といったところでありましょうが、曲がりなりにもスピリチュアリズムを学んだ者としては、そこに一体どんな意味があるのかを自分で見出さねばなりません。その辺のところ、ハイヤーセルフ閣下に早速お尋ねしてみると……。

 

原点に帰るべし。

 

平凡。ありがち。

言葉にすると確かにまあそうなんですけど、閣下が言うんだから間違いない。その意図するところ、平凡でありがちなその言葉の奥に何が見えるのか、探ってみましょう。

 

まず、原点に「帰るべし」ということは、今の私が原点から離れている、ということです。原点とはスタート地点、まさに「ふりだし」のこと。物理的、地理的には文字通り私は「原点」に帰ってきたのですが、それを機にスピリチュアルな意味での「原点」にも帰ってみなさい、というのが、閣下の言わんとするところのようであります。

 

スピリチュアルな原点。今の私は、そこから離れてしまっている。そしてそこに帰ることを勧められているわけだから、原点から離れている今の状況はあまり好ましくない。少なくとも原点に帰ったほうが、より自然な、心地よい在り方を実現できるはず。

 

ならば、原点とは?

 

単純に、この街で暮らしていた幼少期の私の魂が「原点」であるとすれば、まんまそこに帰れというのは、いくら閣下の厳命といえども無理な話。これまでに得た知識も経験も、良かれ悪しかれなかったことにはできないし、またすべきでもありません。むしろそれはそれとして活かし、役立てるべきでありましょう。

 

では、それらを持ったまま原点に帰るとは、これ如何に?

 

というのが、これから故郷の街で生きる私の一つの課題、ハイヤーセルフ閣下からの「作麼生(そもさん)!」であります。ええ、まだわかんないすよ全然。「説破!」はいつの日かまた、ということで。

 

ちなみに。

引っ越しの時に部屋じゅうの全荷物を運び出したあとも、やはりあの消えたブレスレットは見つかりませんでした。正直なところ私も、まあ何だかんだ言ってどっかにはあるんだろうとか思ってましたが、どうやらマジで消えた模様。

「急に知らないブレスレット出てきた!」という方、いらしたらぜひご一報いただきたく。

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第11次元  風の時代――心ちょい軽、財布ちょい重♪

ちょっと前の話になりますが、2020年の暮れに、スピリチュアル界隈で話題になった言葉がありました。正直言って私は直前に師匠から聞くまでまったく知らなかったのですが、知ってる人はもっと前から知ってたようです。

 

風の時代。

 

西洋占星術における、約200年ごとに訪れる転換期で、これを境に時代の様相が変化する、まさにパラダイムシフトが起こるそうで、昨年末がその幕開け、新時代の始まりだったそうです。

 

詳しいことは詳しい人が言ったり書いたりしてるので各々「このブログを読み終わってから」ググるなり何なりしていただければと思いますが、ごく簡単に申し上げると、がっつり物質主義、モノでもカネでもとにかくたくさん持つことを是とする「土の時代」が終わり、所有という概念に固執せず、軽やかに、自由に生きる「風の時代」が始まった、ということのようです。この2020年末というのは奇しくも第3次元でお話しした、パワーストーンのブレスレットが消えた時期でもあります。かのブレスレットも私の所有を離れ、風に乗って今頃どこぞで自由を謳歌しているのでありましょうか。1万したのに。

 

それより少し遡って、11月の初旬ごろからだったでしょうか、私の中にある感情が沸き起こりました。

 

――モノ減らしたい。

 

別に増えたわけでもないのに、何か多い気がする。ちょっと部屋が狭く感じるほど、余計な物が詰まってる気がする。そもそもこの部屋に越してきた時に、持ってきた物が多すぎたのだろうか。

越してきていい加減3年も経とうかという段になってそんなこと言い出すのもいかがなものかという話でありますが、気づいてしまっては仕方ない、何とかせねば。

 

ただやはり解せぬのは、なぜ今になって? ということ。なぜ今この時期、無性に部屋が狭いと感じ、物を手放したくなったのか。その原因を、ここで改めて検証してみましょう。

 

①シンプルに部屋が狭い

あたぼうよ、六畳ワンルームが広いわきゃあねえといういわゆるそもそも論ですが、最近急に六畳になったはずもなく、私の入居以来、というかこのアパートの竣工以来、部屋の容積という絶対値は変わっていないはず。

 

②自分が大きい

ならば比率の問題か。180センチ75キロ。まあ確かに大きい部類ではある。同じ六畳間なら当然160センチ50キロの人よりは手狭に感じるのでしょうが、これとて今に始まったものではなく、部屋が狭くなったと感じるほど太ったわけでも、ましてやいい加減四十も過ぎて背が伸びたわけもない。

 

③お金がない

部屋が狭いとか物が多いとかすべて幻覚。そういう体(てい)にしておいて、実は潜在意識レベルで「売るものぁ~ねえか~」と部屋じゅうを物色していたのではなかろうか。実際この時私は「一人財政危機」の只中にあり、そういう境遇にあると部屋の中のありとあらゆる物が「別になくてもいい物」に見えてきたりする。「別になくてもいい物」→「ないほうがいい物」→「今すぐ手放すべき物」→「どうせなら換金すべき物」→「そうだ、ブッ◯オフへ行こう!」

 

④風の時代の到来

べ、別に、金がなくて売れそうな物を血眼になって探してるわけじゃないぞ。所有の概念を離れ、余計な物を手放して軽やかに生きる「風の時代」が来ちゃうんだから、しょうがないぢゃーん。

 

このような検証から、非常に論理的に、原因は④であることが証明されました。そう、④です。④であれば、①から③までをも包括的に隠蔽説明できるんだから、④です。誰が何と言おうと④!

 

ただ実際のところこの時まだ私は「風の時代」なる言葉に出会っていなかったので、④も正確には「風の時代とか知らないけど無意識にその流れに乗っていた」ということになるのですが、それはそれで何というか、逆にすごい。いや、知らん時点ですごくないか。

 

それはともかく、あの時期私は自分の部屋の中に何とも言えぬ重苦しさ、スピリチュアルな表現をするなら「波動の重さ」を感じ始めていたのは事実で、それまで同じ部屋で過ごしていて感じなかったものを急に感じるようになったのだから、やはり私の意識に何かしらスピリチュアルな変化が起きたことは間違いなかろうと思うのであります。

 

そうとわかればあとは実行あるのみ。いらないと思う物を片っ端からかき集め、少しでも高く売ろう波動を軽くしようと躍起になるわけですが、この過程で同時に、私の意識の中にあるいらない物も、じわじわと炙り出されてくるのであります。

 

まずは本を吟味。これに関しては予想をはるかに上回る数が「いらない」に分別されました。当然ながらその大半は、己の手で3年前にせっせとダンボールに詰めて今の部屋に持ってきたもの。

同じものを同じ人が見て、3年前は「いる」と思い、今は「いらない」と思う。とすれば変わったのは見た人、すなわち私の意識ということになりましょう。

 

私はいわゆるコレクションにはあまり興味がないのですが、本に関してはもしかしたらそれに近い感覚を持っていたのではなかろうか、と思い至ったのであります。

例えば展覧会、「古代エジプト文明展」みたいなので買った図録。もちろん欲しくて買ったし、一通り目も通したけど、専門家でも研究家でもない私の生活においては、ほとんど出番がない。類似の情報ならネットで得ることもできましょう。あるいは心のどこかに「こういうの持ってる俺」に満足したい、こういうの部屋に置いて教養人ぶりたい、という意識があったのかもしれません。

まあ何にしてもこんな大判の分厚い本が六畳間に十数冊はやっぱ重すぎ、というわけで、あの吉村作治先生から直々にサインをいただいたものなどを除いて、ほぼすべて手放すことにいたしました。ほかの本も同様、バシバシ手放します。

 

さあこの調子でどんどん行きますよぉ。お次はCD

これについては、ちょいと難しい決断を迫られました。

 

大好き「だった」アーティストのCD。ご本人たちは何も悪くないんだけど、正直ちょっと残念な形での幕引きとなり、以来2年ほど、私の心も宙ぶらりんのまま。思い出すと悲しくなるから聴くに聴けず、さりとて手放すというのもまた何とも寂しい。棚にずらりと並んだこれらのCDをふと目にする度、「クリスマスの渋谷であの美しいハーモニーに酔いしれることは、もう生涯ないのかなあ」と溜息をついたりしていたのですが。

いつかまた会える日を信じて、ここで一度、お別れすることにしました。いつの日か再び3人の声が重なり、光の旋律の紡がれんことを、今はただ祈るのみであります。

 

さて次はお洋服。

これはねえ、あんま減らんかった。

元々気に入ったものを長く着たいと思って買うので、長持ちするのは大変ありがたいのですが、こういう言い方もなんだけど、長持ちし過ぎ。成人以来私の体形がほとんど変わっていないのも相まって、20年くらい前に買ったジャケットなんかがまだ現役バリバリだったりするのであります。気に入って買ってまだ着られるものを二束三文で手放すのも何かやだし、捨てるなんぞもってのほか。流行やブランドで選んだりもしないので、「去年のやつとか恥ずくてもう着れん」なんてこともありません。というわけでここは軽めに、汚れの目立つものを処分する程度にとどめました。

 

とまあこんな感じであれこれ処分して、ついでに心にくすぶるあれこれも処分して、部屋も心もすっきり。その上けっこういいお小遣いもゲットし、私は無事年を越すことができたのでありました。めでたしめでたし。

 

ただ。

これは言わば「予兆」に過ぎなかったのです、今にして思えば。

まさかまさか、それからあんなことやこんなことになろうとは……!

 

 

第10次元  塵も積もればアセンション!?――小ネタ盛り合わせ一丁。

2020年の7月、「体力の限界」ならぬ「魂魄の限界!」を迎え、這(ほ)う這うの体(てい)で師匠のサロンを訪ねてから10か月近くが経ちました。その間起きたことや気付いたことをこの場に綴って参ったわけでありますが、ここで改めて振り返り、ひとネタに練り上げるにはちょいと小さいけど捨てるには惜しい事柄をまとめて、頑張ってひとネタ仕上げてみることにしました。消しゴムのカスを必死に集めてまとめてこねくり回して「ほら見てねりケシできた!」と言い張った幼きあの日に思いを馳せつつお付き合いいただければ幸いであります。

 

最初の変化はヒーラー修行を始めて間もない8月ごろ。師匠の勧めで水をたくさん飲むようにしていたのですが、ある時から水道水をそのまま飲むことに抵抗を感じるようになりました。まずい、というほどでもないけど、何というか、きつい。

事あるごとに人が言い、しかし私自身は40年生きて一度たりとも感じなかった、これが「カルキ臭」というものか……!

と感動もそこそこに、何か策を講じねばとフィルター付き水筒の導入に至った次第でありますが、それまで別に水なんぞうまいともまずいとも思わなかったこの私が、お金使ってまでよりおいしい水を求める日が来ようとは、夢にも思いませんでした。

というわけで第一の変化は「違いのわかる男になった」でした。

 

次の変化は正確にいつだったか憶えていないのですが、おそらく「違いのわかる男」に昇格したのち、9月辺りではなかったかと思います。

ある日学びのためにサロンを訪れると、先にいた同志のうちの幾人かから、「なんか前回と全然違うね、別人みたい。一瞬誰が入ってきたのかとびっくりしたよ」と驚かれました。無論、それ以上に驚いたのは私のほうで、一体何のことやら、髪切ったわけでも顔イジったわけでもないのに別人みたいとはこれ如何に、とずいぶん怪訝そうな表情を出してしまったのでありましょう。すぐに補足説明を入れてくれました。曰く「エネルギーの質が一変した」とのこと。

自分ではまったくわからなかったのですが、ともに学ぶ仲間が、さらには師匠までもが言ってくれたことだから、私はそれを信じます。己でも気付かぬうちに、私は変わっていたのです。

これが第二の変化「手術なしで別人になった」です。

 

そしてある意味その裏付けとも言える出来事が、その後間もなく起きるのであります。

ある夜、眠りからふと目が覚めました。3時ごろだったでしょうか。当然ながらまた眠ろうとするのですが、じわり、じわりと、それは始まったのでありました。

下半身が痺れ出すのです。痺れは次第に強くなり、やがて足先までが大きな脈動に包まれました。

よほど変な格好で寝ていたのだろうかと初めは思ったのですが、その痺れがどうも普通ではない、というか、そもそも痺れてはいない、と気付いたのです。痺れたような感覚があるけど、実際に痺れているわけではない。例えば30分正座したあとの、あの痛いようなくすぐったいような感覚が一切ない、言わば苦痛を何一つ伴わない痺れ、そしてそれがきれいに腰から下だけに表れるという、まったくもって不可思議なものでした。

その不可思議な痺れを半ば楽しむように味わいながら、半分寝たままの頭で私は直感するのであります。

 

――あ、エネルギー的な何かが起きてる。

 

何がどうとか詳しくはわかんないけど、とにかく今、私の下半身で、エネルギー的な何かが起きている。夜中の3時に、私の下半身で、エネルギー的な何かが起きている。

そう理解してからほどなくして痺れの感覚は消えていき、エネルギー的な何かは終息し、私はまた眠りにつき、翌朝何事もなく目覚めたのでありました。

 

が、これで終わりではありません。それから約一か月後、私はこの「エネルギー的な何か」を再び経験することになります。それも、全身バージョンで。

 

やはり夜中に目が覚めてじわじわと痺れが広がり、やがて首から下の全身がぼわんぼわんと脈打つ感覚に覆われたのであります。

 

――おーまた出たかエネルギー的な何か、しかも今度は全身かよ。

と暢気につっこみつつ、試しに両手首同士をとーん、とぶつけ合わせてみると、ばいーん、と痺れが波になって全身を駆け巡っていきます。衝撃は少し感じるけど、痛みはありません。

こりゃいいや、とつい面白くなって、とーん、ばいーん、おおっ、とーん、ばいーん、あうっ、と無益な戯れにかまけるうちに、エネルギー的な何かは終息し、私はまた眠りにつくのでありました。

 

結局何なのかよくわかんなかったし、それを機に特殊な能力に目覚めたわけでも何でもないけど、先述のように人から「エネルギーが変わった」と言われた直後ということもあり、何かしらスピリチュアルな体験ではあったのだろうと自分では解釈しています。

以上が第三の変化、というより不思議体験「エネルギー的な何か×2」でした。

 

今日のところはこれくらいで終わってもいいかな……。

え、もう一声? しょうがないなあ。じゃあもう一個くらいいってみましょうか。実感、自覚という点においては、もしかしたらこれが一番大きな変化かもしれません。それは。

 

大都会にあまりときめかなくなった。

 

いつからともなく、また特にきっかけがあったわけでもないのですが、都心に遊びに行く回数が明らかに減りました。もちろんこのご時世というのもありますが、じゃあ行きたいけど我慢してたのかというとそうでもない。行きたいと思うこと自体が減ったのです。

この変化に関しては、一時的なものである可能性も十分考えられます。前回も申し上げたように、大した用もないのに街を延々ぶらつくことは、今も、今後も、私にとって第一級のエンターテインメントであり続けることでありましょうし、私自身、街ぶらを引退しようなどと考えたことはただの一度もありません。ただ昨年、2020年の末辺りに、ふと「そういえば最近アキバ行ってないなあ」と思った時に、街ぶらに対する熱量がちょっと少なくなっていることに気付いたのです。かつては「俺の庭」と言わんばかりに闊歩した秋葉原から上野にかけての繁華街から少し心が離れていて、かつそのことに対して特に寂しさみたいなものも感じていなかったのです。

私は都会の喧噪、なんなら猥雑と言ってもいいような街をわりと好んで歩きます。小綺麗なビル街の裏にひっそりと、昭和からやってるような店が軒を連ねる通りの風情に浸るのが本来好きなはずなのですが、今はそういう場所から少し距離を置いて、己の内なる声にじっくりと耳を傾けるべき時なのかもしれません。まあ、単純にそういう場所を歩きすぎてちょっと飽きただけかもしんないすけど。

これが第四の変化「秋葉原―上野間の往復歩行回数が一生分に到達(推定)した」です。

 

このような諸々の変化について、師匠は「すべて必要だから起きていること」であると言います。霊性進化の過程で、それまで必要だったものが必要なくなり、好きだったものがそうでもなくなるといったことは往々にして起こるので、それらは恐れずに受け入れるべし、と。

それは時に勇気の要ることでありましょうが、別に受け入れたところでそれまでのすべてが無に帰すわけでもありますまい。またアキバに行きたくなったら行けばいいだけの話、一度心が離れたものには二度と手を出してはならぬ、なんて掟も別にないし。その時々の「今」を大事にし、その時々のハートの声に従う。

心情や感覚に生じた変化は、進化の兆しを告げるハートからの信号なのかもしれません。

 

といったところでちょうどいい、だいたいいつもの一本分の尺になりました。小ネタを集めてこねて、こんな立派なねりケシになりました。こいつを指でむにゅむにゅしたり、鉛筆を麺棒みたいにぐりぐり転がしてびとーっと延ばしたりするわけでござんすな。

 

もちろん、授業中に。

 

 

第9次元  なんちゃって修行僧、娑婆(しゃば)を放浪す。

とにかく歩くのが好きで、軽い散歩で1時間なんてのは朝飯前、気付けば5、6時間歩きっぱなしなんてこともままあります。

歩く場所はさまざま。近所の川原をそぞろ歩くこともあれば、ちょっと遠くの有名なお寺まで、さらには旅に出て知る人ぞ知る神社仏閣を巡り歩いたり。あるいは趣向を変えて山手線一周踏破したこともあれば、江戸の名残を求めて都心をぶらぶら、酒なんか一滴も飲まないのに夜の飲み屋街をぶらぶら、とまさに風の向くまま気の向くまま、なんなら軽めの放浪癖と言って差し支えない程度の症状を自覚しております。

 

旅に出る時などは、絶対に行きたいところには確実に行けるようにそれなりの計画を立てたりは当然しますが、その計画はやはり歩くことを前提に立てられます。もはや旅の目的が「歩くこと」であると言っても過言ではありません。

またその計画が緩ければ緩いほど自由度、もしくは放浪可能度が高くなるので、水を得た魚と言わんばかり、存分に放浪してやるのですが、調子に乗って後悔することもしばしば。宵闇迫る京都の鞍馬山を、魔王殿、さらには貴船へ抜けるべく一人歩いた時などは、ひたすらに己の愚かさを嘆いたものでした。ええ、怖かったですよ、それはもう。3時間くらいずーっと怖かった。やめればよかったと何度思ったことか。

まあそのおかげで、あの日、あの時間に貴船に着いたからこそ、蛍を見ることもできたんですけどね。七夕の夜の貴船神社ともども忘れ得ぬ光景でありますし、それもこれも全部込みで楽しい。いやあ放浪って、本当にいいものですね。お勧めはしませんけど。

 

師匠のもとに通い始めてまだ間もないある日、サロンで開かれた学びの集いの場で「存分に豊かに、存分に自由になった暁には、その無限の富を使って過酷な放浪の旅に出て、どれだけしんどい目に遭えるかというところを存分に楽しみたい」といった趣旨のことを発言したことがありました。無論それは私の本心であるし、スピリチュアルな性向をお持ちの方々であればある程度ご理解もいただけようと思って何の気なしに申し上げたのであります。

 

が。

 

十数人の仲間たちのざわめきと、師匠の困惑ぶりから、私は悟るのです。

 

――あ、何か、違ったみたい。

 

「え、ごめん、ちょっとわかんないんだけど、どういうこと?」

師匠が戸惑いつつ説明を促すのですが、私は私で戸惑うのであります。

――こんなに、仲間が十何人もいて、こんなにも賛同を得られないことってあるかねえ。

 

師匠のご要望にお応えして説明することは決してやぶさかではないのですが、説明したところで誰も納得しないことはすでに確定済み。この上なくわかりやすい負け戦に、私は臨むのであります。

 

「ええ、実はあえて過酷な旅に挑むのが僕の趣味でして……。楽しいすよ」

 

かくして負け戦にきっちり負けきった私は、それを機に「修行好き」ですっかりおなじみになってしまったのでありますが、これに関してはまんざら冗談でもなく、過去世でいわゆる「修行僧」だったことが、私にはやはりあるそうです。私自身もうっすら自覚するところがあったので、それを聞いた時は妙に合点がいったものでした。あくまで山ほどある過去世の一つに過ぎないのですが、その中でも今生に特に強く反映されるものがあるようで、実際私も「3次元の物質主義世界の、この生きづらさよ」とは常々思うところでありました。

私などは組織のしがらみみたいなものの中でごちゃごちゃやるよりは一人で5時間歩くほうが百倍楽、なんて思うのでありますが、一方で今住んでいる部屋を借りる時に不動産屋さんから「駅から徒歩20分“も”ありますけど、ほんとにいいんですか?」とかなり強めに念を押された、なんてこともありました。徒歩20分をさほどに由々しき事と思う人から見れば、徒歩5時間などもはや苦行以外の何物でもないのでありましょうか。先述の負け戦、四面楚歌を軽く超える「全面楚歌」の経験を鑑みても、私のような者は少数派、「どちらかと言えば奇人変人寄り」くらいのカテゴリーに入るのかもしれません。

 

しかしながら、これをもって私が人とは違う特殊な存在であるとか、幾多の苦行を乗り越えてきた強い人間であるなどとは、間違っても申しません。

 

修験道の言葉に「山の行(ぎょう)」「里の行」というものがあります。山の行とは人里離れた山中で瞑想したり滝に打たれたりする修行、里の行とは人間社会における日常生活から学ぶこと。簡単に言うとそんなところでしょうか。

で、改めて調べてみると、多くの場合「山の行より里の行」という言い回しが使われています。里の行のほうが上位に置かれ、重要視されているわけです。まあ実際のところはどちらが優位とかではなく、バランスよく両立すべしということなのでしょうが、いずれにしろ修験者は一人山に籠って修行さえしていればよいわけではなく、その成果を娑婆(しゃば)で役立てることもまた修行である、ということのようです。

 

――組織のしがらみみたいなものの中でごちゃごちゃやるよりは一人で5時間歩くほうが百倍楽。

――3次元の物質主義世界の、この生きづらさよ。

――ええ、実はあえて過酷な旅に挑むのが僕の趣味でして……。楽しいすよ。

――いやあ放浪って、本当にいいものですね。

――軽めの放浪癖。

 

不適切な表現が多数ございましたことを深くお詫び申し上げます。すいやせんした。

 

決して娑婆を疎かにしてきたつもりはないのですが、得手不得手で言えば間違いなく不得手で、こればかりは致し方なきこと。要領よく世渡りなんぞできていれば、3次元の物質主義世界でよろしくやっていたはずです。

とは言え娑婆、社会での暮らしを、不得手なりに大事にしてきたかと問われれば、自信を持って「はい」とは、やはり返せない。かつてブラック工場に勤めていた時などは特に、自分と会社との間にはっきりと境界線を引いて分断していました。最低限やるべきことをやって決まった時間までいれば決まった額のお金がもらえる、それ以上でも以下でもない場所。職場というものをそう定義して割り切ることで自分を保ち、たまに山の中でも街の中でも、誰の干渉も受けることなく一人延々と何時間も歩き続けることで、すり減った心を回復していた。ちょいと意地悪な言い方をすれば「山の行に逃げていた」ということにもなりましょう。里の行より山の行のほうが、私にとってははるかに楽しくて有意義で、何より楽だったのです。

 

ただ、私は後悔も反省もしません。当時の私が間違っていたわけでは、決してないのです。

今こうして多少なりともスピリチュアリズムを学び、実践する身として振り返ってみると、いつ闇に身を落としてもおかしくないような環境でよく踏みとどまったなと思うし、そんな中で少しでも楽しく生きようという気概を失わなかったことも、大いに評価してようございましょう。すべて私にとって必要な経験、必要な学びだったということを受け入れ、同時にもうその学びは要らないよ、ということをしっかりと意図して、新たな学び、楽しみを求めていく所存であります。

 

と言って別に、金輪際山には入らないとか、今後2時間以上の徒歩は禁止、とかではないですよ。相変わらず歩くのは好きだし、現に師匠が引くほど歩いてます。

ただ、自分にとっての「里の行」とは何か、ということを、これからは強く意図して探っていこうと思っています。こうして過去を解釈し直すことで今が変わり、未来が変わる。そんな経験をこれからもお届けできればと思っております。

 

というわけで、己を見つめ直し、なすべき「里の行」を見つけるべく、私は山に籠ります。滝に打たれます。

 

……え、だめ?

 

 

第8次元  スピVSテク――そこに愛は、あるんか?

少し前に、スマホを忘れて外出するということが二度ほど続きました。いずれも電車に乗った時に気付き、ああやっちまったなあとなったのですが、逆に言えばそんなもん。私にとってはああやっちまったなあで済む程度のことで、一日くらいなくたってなんてこたあない。一度目などは腕時計も電池切れで使えなくて持たずに出たので、時間を知れる場所が駅のホームくらいしかないというなかなかにスリリングな一日となったりしたのですが、それでもさほどに困ることはありませんでした。

 

スマホを使い始めて約10年。確かに便利だし、その恩恵はありがたく頂戴して生きてはいるけれど、スマホがない時代を30年も生きた身としては、なきゃないで死にゃあしない、とも思う。進んで手放そうとは思わないけど、最悪手放したところで、それが生命の危機に直結するわけでもありますまい。

 

スマホに限らず、現代人たる我々は様々なテクノロジーに囲まれて暮らしています。行き過ぎたテクノロジーがしばしば問題になることもありますが、私は「自分が使って心地よければOK」ということにしています。スピリチュアルな言い方をすれば「自分のハートに問う」ということ。そうして自分にとって心地よいものだけを選んでいけば、少なくとも「テクノロジーに使われる」事態は避けられるはずです。

 

私のスマホ事情を例として晒してみましょう。

私も人並みにスマホは使います。主に外出先で、ニュースをチェックしたり、地図を見たり、交通手段を調べたり、電子書籍を読んだり、とそれなりにお世話になっております。自宅ではパソコンを使うことが多いのでスマホはあんま使わないかな。

 

一方、スマホでゲームは一切しません。動画や音楽の視聴も、外ではまずしません。一時麻雀ゲームのアプリを入れてたことがありましたが、何せ画面が小さすぎて自分の手牌も相手の捨て牌もまあ見づらい。ようやく引いた上がり牌を惜しげもなく捨ててしまったことも数知れず……。

 

ええ、何でしたっけね。あ、別にゲームが悪いと言っているわけではありません。今でこそあまりやらなくなりましたが、元来ゲームは大好きだし、家では音楽や動画も楽しみます。ただ外ではちょっとねっていう話、ましてや歩きながらなんて論外。

昨今言われる歩きスマホの危険性などの要素も当然あるけど、それ以上に、全力でゲームに臨めないという環境が、私にとっては心地よくないのです。やんなら100パー。他の何かを気にしながらでもいいや、と思ってやるゲームは、本当にやりたいゲームではありません。初めてプレイしてから四半世紀経った今なお、思い出すだけで涙が出そうになるくらいの名作に出会えた私は断言します。

動画や音楽についても同様。音楽に関しては視覚がフリーだから歩きながらでも大丈夫、というのは確かにそうかもしれないけど、これもやはり危険性云々以前に、音楽とのそういう接し方が私にとって心地よくない、ということ。大好きな曲聴いてる時に、他のことなんか1%も考えたくない。

 

とまあこんな感じで、スマホというある種オールマイティなハイテク機器の、自分にとって心地よい機能だけを使うことで、「私がスマホを使う」という状態をキープできているというわけです。1日あたりの使用時間はせいぜい1時間。2時間に達することなど、まずあり得ません。

あれもこれもスマホで済ますとか毎日何時間も動画観てるとかが悪いわけではないんでしょうけど、機能的にも時間的にも依存度が高まれば、それだけスマホに「使われる」場面も多くなる、ということでありましょう。

 

師匠は「意図」という言葉をよく使います。

水を飲む、という行動一つ取っても、ただ何となく飲むのではなく、「自分は今水を飲みたいから飲むんだ」というように、明確な意思を持った上で飲む。自分が今本当に水を飲みたいかどうかがわからないなら、まずはハートに問うてみる。その結果、「何となくボトルに手が伸びたけど、別に水を飲みたいわけではなかった」ということもありましょう。大袈裟に言えば「危うく飲みたくもない水を飲まされるところだったけど、ハートに問うことで回避できた」ということで、それを踏まえた上でしっかりと意図して「水を飲まない」という選択ができるわけです。

 

「人生は選択の積み重ね」とはよく言われますが、だとすればいかに一つ一つの選択を自分の意図に基いて行えるか。真に自分の人生を築き、真の自分の姿を知るための、それが一つの鍵となることは間違いございますまい。無論、今の私に、何となく上がり牌を捨てちゃうような奴に、それが完璧にできているなどとは申しません。3.5次元の身では意図することを意図するのがやっと、というのが現状でありますが、それを意図するだけでも意識は変わります。

 

スマホに限らず、今後もテクノロジーは進化を続け、それに伴って便利さや高性能を謳うモノや仕組みが、商品やサービスという形で次々と我々に提示されることでありましょう。それ自体は決して悪いことではありません。

ただ、提示されるものに対して、我々は意図を持って選択せねばなりません。早い話「これ、ほんとにいる? ほしい?」という疑問を持つということ。自分にとって心地よいものであるかどうかを常に感じ取ることが、テクノロジーに使われずに生きるには必須のスキルとなりましょう。「ゲームがしたい!」という強い意志を持ってスマホに手を伸ばしたのか、そこにスマホがあるから手を伸ばしただけなのか。同じ「スマホでゲームをする」という行動でも、両者の間には雲泥の差があるのです。

 

ちょいと古い話になりますが、30年ほど前、確か私が中学生になる頃に「ゲームボーイ」という携帯用ゲーム機が発売されました。私は持っていませんでしたが、周りには持っている奴も少なからずいました。

でも、今思い返してみても、あの頃道を歩きながらゲームボーイやってた奴なんかいなかったよねえ。公園とかに持って出てくる奴もいたはいたけど、たいがいベンチとかに座ってやってましたよ。実際、当時「歩きゲームボーイが社会問題に」なんて話は聞きませんでした。

 

同じ「ゲームができる小型の電子機器」を手にした時、車や人が行き交う路上を歩きながらプレイするという選択を、今の人はして、30年前の人はしなかった。

スマホゲームボーイを単純比較することには少々無理もありましょう。ゲームしかできない機械なら毎日持って歩いたりはしない、と言う人もいるでしょう。が。

スマホを常に持ち歩くのは生活や仕事のため。でもついでにゲームもできるんなら電車の中でも歩きながらでも何となくやっちゃう」と言うなら、それ。

 

使われてます。スマホに。ゲームやらされてます。

「なぜゲームをするのか。それは、そこにスマホがあるから」

とか名言っぽく言っても駄目です。その選択には、意図が働いてません。残念。

そしてファミコン世代ど真ん中の私に言わせれば、ぬるい。甘い。誰が何と言おうと、ゲームはやりたいからやるもの。暇潰しや手慰みにやるものではありません。親にやめろと言われても、一旦やめたふりしてテレビだけ消して、その後またテレビをつけてすぐさま消音ボタンを押してやるもの。それくらいの強い意図、信念、そして知恵と勇気を持って、コントローラーというものは握るべきものなのです。

ええ、真似してはいけませんよ。残念。

 

話がゲームに片寄ってしまったので、最後に音楽と動画の話を一つ。

このご時世でコンサートなどのイベントも軒並み中止となってしまいましたが、そんな中私の大好きなバンドがオンラインでライブの生配信をしてくれました。もちろん演奏する側も我々聴く側も「会場で会いたい!」という希望は強くあり、これが100%の形でないことはわかっているのですが、今できる最高のパフォーマンスと、今できる最高の応援で繋がることができたのですから、感謝の気持ちは自ずと湧いてくるというもの。仮想の空間とはいえ、そこには確かに愛が溢れていました。

そしてゲームボーイの時代には到底考えられなかったテクノロジーがそれを実現してくれたことにも、やはり感謝せねばなりません。

 

愛と意図を持ってテクノロジーを使い、その恩恵を受け取る。

その意識があれば、テクノロジーに操られたり、スピリチュアリティを奪われることもありますまい。我々が愛と意図を持って臨めば、どんなに優れていても愛のないテクノロジーは消えていくことでありましょう。

 

ゲームも愛。音楽も、動画も愛。

このブログも……。

 

え?