3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第14次元  龍神の導き!?――雨上がりの霊能紳士。

なぜか私が外に出ると雨が降り出すというパターンが、今年の梅雨は頻発しました。仕事を終えて外に出た時には小雨程度だったものが、自転車を漕ぎ始めて2、3分経ったあたりで突如大雨に変貌する、といったことが二日連続で起きたりもしました。龍神の惜しみない愛でござんしょう。

 

さて、こうして大雨でびしょびしょになると、必ず思い出すエピソードがあります。前回お話しした「グレートリセットを生き延びた貴重なデータによりますと年前、201年9月のこと

当時札幌近隣在住だった私は、関西一円を4、5日かけて旅したのですが、その中でどうしても行きたいスポットの一つに「竹生島ちくぶしま」がありました。琵琶湖の北部に浮かぶ小さな島で、弁財天をはじめ多くの神が祀られている、知る人ぞ知るパワースポットであります。

 

京都の宿(ネットカフェ!)を早朝に発ち、船の出る滋賀県は長浜というところまで電車で行き、午前中に参拝を終え、京都へ戻る途中に琵琶湖南岸の彦根に寄り、城や白猫的なやつを堪能し、あとは適当にぶらぶらして、夜に京都へ戻る。そんな予定を立てていたのですが……。

 

朝5時から、ぱらぱらと降り始めている。軽く濡れながら近くの駅まで歩き、電車に揺られること約2時間。長浜に降り立った私を迎えたのは、龍神からのあまりにも熱烈すぎる祝福でありました。

呆然としつつも、帰るわけにもいかず、とりあえず合羽着てびしょびしょになりながら船着き場へ向かうわけですが、着いてみればまあ案の定、9時くらいに出る第1便の欠航の報せが掲示されていました。

 

びしょびしょになりながら頑張って時間を潰して、次の便が出る10時くらいに待合室へ向かう。欠航。次、11時、欠航。

この辺りで、私は一つ決断を迫られます。このあとに予定していた彦根城との兼ね合いで、どちらか一方を取り、他方を諦めることを、そろそろ考えねばならない時間が来ていたのですが、厄介なのはこれが単純な二択ではないこと。今ここで竹生島を諦めて彦根に向かえば、天候に左右されない彦根城の見学は叶うんでしょうけど、彦根を諦めたからといって竹生島上陸が叶うとは限らない。一にも二にも、雨が落ち着いて船が出なければ、島には上がれません。つまり、竹生島を取ることは何の根拠もデータもないギャンブル、山勘だけが頼りの大博打にほかならないのです。

 

で。

打つわけです、大博打。何だろう、フリテンリーチみたいなもんすかね。皆様も一度くらいおありでしょういざリーチかけようって時に自分の捨て牌見て「あ……」ってなったこと。

……忘れてください。

とにかく、少なくとも理屈の上では相当に分の悪い勝負に出た。負ければ「滋賀県には濡れに来ただけ」という大変残念な結果に終わるわけですが、それでも竹生島に賭けた。リーチかけちゃった。ただ。

勝てそうな気が微塵もしなかったら、いくら無鉄砲な私とてこんな勝負はしません。つまり。

この時点で「何となく行けそうな気」はしていたのです。

無論、何ら根拠はありません。予測も計算も立てようもない、いわば「直感」による決断でした。

 

この「直感」こそが最も頼れる道標、最も信ずべき内なる声であることを、この年後、東京のヒーリングスクールで学ぶことになろうとは、この時の私には想像にすら及ばぬことでありましたが今になって思えばちょっとそれを示唆していたかのような、ある種象徴的な出来事を、このあと私は経験するのであります。

 

出航時間が近づいては待合室を訪れ、欠航を知っては当てもなく彷徨う、というのを何回か繰り返しているうちに、おそらく私と同じことをしているであろう人の存在に、実は気づいていたのです。黒い服の年配の男性。向こうが私に気づいているかどうかはわかりませんが、私の見る限りこんなことをしているのは私たち二人だけなので、あるいは目に入るくらいはしているかもしれません。

 

その間も雨足は衰えることなく、早めの昼食を摂りに一旦駅のほうへ戻り、食事を終えてもう一度船着き場へ向かう道すがら、さすがにちょっと弱気になったりもしたのですが。

船着き場近辺に戻ってしばらく時間を潰すうち、徐々に雨足が弱まり、雨雲も薄くなり、晴れこそせずとも、希望が見え始めます。そして。

 

ついに「その時」が訪れるのであります。

午後1時台からの出航の報せが、待合室に掲げられたのです。

伸るか反るかの大博打に、直感に賭けて勝利を収めた私は、その喜びをかみしめつつ船に乗り込み、夢にまで見た竹生島上陸を果たしたのでありました。

 

この頃には雨はすっかり上がり、雲間から青空がのぞくほどに天候は回復しました。島の各所に社殿や祠などがありますが、何と言っても島全体が聖地。雨上がりの御神気を存分に浴びながら巡り歩いておりますと、少し先に見覚えのある人影。そう、私とともに雨の中出航を待ち続けていた、黒衣の紳士。待った甲斐ありましたねえ、フリテンリーチかけてよかったっすねえ、と心の中で勝手に健闘を称え合っていると、テレパシーが通じてしまったのか、黒衣の紳士がこちらへ近づいてくるではありませんか。俺はフリテンリーチなんかしてねえ! とか怒られんのかと思いきや、当然ながらそんなことはなく、穏やかに声をかけてくださいました。

 

「来られてよかったですね」

やはり私に気づいていたようで、互いに上陸を祝しつつ二言三言、言葉を交わすうち、かの紳士はこんなことをおっしゃいました。

「私は大阪から来たんですけど、実は50歳を過ぎた頃から霊力に目覚めて、今日どうしてもここに来るように呼ばれてたんですよ」

 

おお、すげえ。ほんとにあるんだそういうの、と心の内で興奮する私に、かの紳士はさらに続けます。

 

「あなたも呼ばれたようですよ」

 

またまたぁ~、とか一瞬思ったけど、表情にしろ声のトーンにしろ、とても冗談やリップサービスで言っているようには見えない。というか、知らないおじさんが知らないおじさんを騙したりおだてたりすることに、一体何の意味があろうか。

私にしても先に申し上げたように、非常に分の悪い選択をしてまでここに来たいという、冷静に考えれば非合理的な願望を持っていたことは間違いない。よって「呼ばれた」というのもまあ、そんなことも、なくはないのかねぇ……。

 

そんな話を師匠にしてみると、軽く「ほんとなんじゃない?」とした上で、新たな解釈を与えてくれました。曰く。

「大雨は場合によっては『人払い』として働くことがある。その日その時、本当に来たい、あるいは来る必要のある人だけが来られるように、という神の計らいよ」

 

改めて思い返せば確かに、私のパワースポット訪問時の降水確率は決して低くない。それらを羅列するだけでもひとネタいけそうな気がするのでここではあんま言いませんが、結局行けなかった、という経験もあります。その時は雪でしたけど。

 

かの黒衣の紳士とは、それきり言葉を交わすことはありませんでした。5年前、フリテンリーチの大勝負に出たあの日の私は、その2年後に東京へ居を移し、さらにその2年後にヒーラー修行を始めるわけです。無論、この出来事が直接作用したわけでもないのでしょうが、これを含めた数々の「ちょっとした経験」の積み重ねが、私を今ある場所へ導いたのだと、今の私にはそういう解釈ができるのです。人の運命を変えるのは何も一つの劇的な経験とは限りません。一日で人生が一変する人もいれば、日々少しずつ、何かに呼ばれ、導かれて変わっていく人もいる。そういうことなのでありましょう。

あとになって実は導きであったと気づくことが、これからはもっとタイムリーに気づけるようになるのだろうと、そんな気がしている今日この頃であります。というわけで。

 

彦根に未練はない!

……わけはない!!

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村