3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第3次元  「ありがとう」は「激レア」――1万4千円の純損失を涙目で感謝してみる。

激動の2020年も残すところわずかとなった12月のある日、ふと気付くのです。

 

ない。

 

1年半ほど愛用していた、パワーストーンのブレスレットが。

自宅の定位置にあったはずなのに。隙間に落ちた? いやいや、定位置付近に、何かのはずみとか手が滑ったりとかで物が落ちてしまうような隙間はない。ならば外で落としてきた? いや、それもない。出かける時に着けようと定位置にあったブレスレットに手を伸ばし、でもすぐ帰るし今日はやめよ、と思って結局着けずに出た、というのがそれを見た最後で、ないと気付いたのがその次の日だったから。念のため直近使ったバッグや衣服のポケットなど、可能性のある所は隈なく探したのですが、やはり見つからない。

 

役目を終えた、あるいは身代わりになったブレスレットの紐が切れてばらばらになる、という話はよく聞きますが、家に置いてあったのが丸ごと消える、っていうのはあんま聞いたことないんすけど……。

そんな話を師匠にすると、曰く「ああ、あるよそういうのも」。

……あるんすね。軽く。

 

まあ、それなりに気に入ってもいたし、カネの話はあまりしたくないけど、1万したし。まあまあショックですよ、1万したし。ええ、カネの話ではないですよ、ええ、1……。

 

いよいよこんな超常現象が軽く起きてしまうレベルになってきたのか、といろんな意味で感慨もひとしお、次は一体何が消えるやらと半ば楽しみになりつつある今日この頃であります。

 

ちょっと違う話ですが、これを遡ること三か月。

とある施設でプリペイドカードを使っていたのですが、ある日機械から取り出し忘れてしまったようで、次に使う時に財布を探って「あれ?」となったのです。

 

あ、やったな俺。

 

ただ、何回か前、私はやはり誰かが取り忘れたカードを受付に届け出た。となれば、私のカードもあるいは……。

「カードの届け出ですか? ええ、ないですよ」

 

世知辛い。あまりに厳しい現実。

「あれ、あいつこの前得意げに人の忘れたカード届けに来た奴じゃね? 今度は己が忘れて、しかも届いてないでやんの、ぷぷwwwwww」

とか思われているかどうかは別として、ともかく私は買ってからまだ3回くらいしか使っていない、残高4千円ほどのプリペイドカードをあっさり失くしたのでありました。

 

ここで執着するのはよろしくない。現に取り戻す術はもはやないんだし。

しかしまったく執着しないというのも、何だろう、カードに対して、引いてはそれを買う時に使ったお金に対して、あまりに薄情ではなかろうか、愛がないのではなかろうか……?

 

そんな話を師匠にすると、曰く「その時本当に必要とする人の手に渡ったんだから、いいんじゃない?」

……なるほど、そう来ましたか。

 

確かに、私にとって本当に大事なものだと思っていたらもっと注意していたはず。カネが絡むとめっぽう敏感になる私にしては珍しいミスではあります。

 

かくして私は3か月のうちに2つの失くしもの、総額1万4千円ほどの純損失を被ったのであります。生活が破綻するほどではなくとも、それなりに痛い。麻雀なら親にマンガン振り込んだぐらいのダメージ、と言えばわかりやすいでしょうか。

 

ああ、ありがたい。

 

「またまたースピリチュアルぶって無理しちゃってんじゃないの?」

そうお思いになりますか?

 

無理は、してます。

今こうしてキーボードを叩いている間もみるみる画面が滲んで……。

 

とにかく、今私が涙を吞んで申し上げたいのは、「ありがたい」は「有り難い」である、ということ。

「難い」とは漢字の示す通り「難しい、なかなかそうならない」という意味で、「忘れ難い思い出」とか「にわかに信じ難い」などのように、わりと普通に使います。つまり。

 

「有り難い」は本来「滅多にない」、すなわち「激レア」という意味なのです。希少性が価値となり、価値に対する思いが感謝となった、ということでありましょう。先の私の「ああ、ありがたい」は、ブレスレットが消えるとかカード取り忘れるとか、そんな経験は滅多にできないよね、という意味での「有り難い」なのです。感謝? できるかんなもん(!!)。

 

「ありがとう」は「ありがたく」の音便(おんびん)、話しやすいように変形したもので、本来は「ありがとう(有り難う)存ずる」など、あとに動詞を伴って文として成立しますが、いつしか単独でお礼の言葉として使われるようになったものです。

 

すべてのものに感謝をしましょう。どんな人にも「ありがとう」と言いましょう。

 

ほぼすべての「スピリチュアル本」に書かれていて、しかしほぼすべての読者が実践できないことの、これが代表格ではないでしょうか。辛い経験、嫌な人、嫌いな仕事、しょっぱい人生、マンガン振り込み。それらのどれ一つにも感謝できない自分がまた嫌になる。そんな人も少なからずいらっしゃることでしょう。私だってまだまだ。

 

ならば。

上手に感謝できないなら、とりあえず本来の意味で「ありがとう」を使ってみてはどうか、と思ったわけです。例えば、嫌いな人に「感謝」の意味で「ありがとう」と思えないのなら、まずは「こんな嫌いな人に出会うなんて経験は滅多にできることではない、おかげでレアな経験をさせてもらったな」という意味で「ありがとう」を使ってみる、といった具合に。

 

また宇宙規模で見れば、地球という星がまさに「激レア」だそうで、高次元で何不自由なく生きて(?)いる魂が、低次元の経験をしてみたくてわざわざ不自由な肉体を持って、今や宇宙の中でも数少ない低次元の星である地球に生まれることを選ぶのだと言われます。

 

だとすれば我々は「地球で生きている」、ただそれだけですでに「ありがたい」存在、全宇宙の中の超激レア種、ということになります。

そんな風に考えてみれば、感謝が下手、カネにうるさい、ガンダムマニア、という私のような者でも、自分自身の存在をとりあえず「ありがたい」と思えるかもしれないし、やがて「言霊」が機能すれば感謝の意味で「ありがたい」と思える日が来るかもしれない。そうなれば、周りの人たちみんなにも感謝を込めて「ありがとう」を言えるようになるかもしれない。

 

そんな効果を期待しつつ、実験として少しずつ実践してみようかと思います。芳しい成果があれば報告いたしますが、あくまで私の個人的な実験ですので皆様に敢えてお勧めはいたしません。悪しからず。

 

……ガンダムマニアは別によくね?