3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第18次元  孤独のスピ――肉のにおいに揺らぐ孤高の魂。

いざこざやしがらみを避けて、世捨て人よろしく娑婆(しゃば)を斜めに闊歩する私のような者でも、やはり人の世に生きていることに変わりありません。浮世の面倒とまったく無縁でおれるはずもなく、人との関わりの中でげんなりすることもままあるわけです。

特に職場という空間においては利害や立場など、いわゆる3次元的な価値観が如実に反映されることも少なからずございましょう。また会社に限らず、「組織」というものは大変に腐り易うございます。下流が少々濁る程度ならさほど問題にもならないのでしょうが、最上流で湧いたそばからゴミ流す奴がいたりするともうどうしようもない。

上流下流と言ってもそれはあくまで組織体系、伝達系統の話で、人間関係においてどっちが偉い偉くないの話ではない、はずなのですが。そういう濁った流れには第0次元で軽く述べたとおり、組織の中でのちょっとした立場やキャリアの差を単なる上下関係と勘違いして、あるいは故意に置き換えて、親ほど年上の人に平然とタメ口で指図するようなお可哀想な輩が澱みとなって現れてしまうのであります。上流からきれいな水が流れてくればそんなメタンガスの泡みたいな輩は一掃されるんでしょうけど、ゴミしか流れてこねんじゃあしょうがねえ。

無論、スピリチュアリズムでは良い悪いのジャッジをしませんので、ここまでお読みになって「そんなパラダイスみたいな会社がほんとにあるのかい?」と思われても、それが間違いだというわけではございません。なんならこっそり所在地を教えてあげますから、どうぞ心ゆくまで「パラダイス」をご堪能くださいやし。私はおかげさまでそんな「地獄」を卒業できましたけど。

 

遡って学校生活においては、私は幸いそんな地獄を見たことはありませんでしたが、第15次元で申し上げたように、高校に入った頃からちょっとずつ周りの人たちとの世界観のずれを感じはじめ、世間との距離感を意識するようになりました。

別に「絶対に誰とも仲よくならないぞ!」という強い意志を持って臨んだわけではないし、俗に言う「ぼっち」だったわけでもないけど、卒業後も連絡を取り合うほど仲のよい友人はいませんでした。

これが大学になるともう完全に「ぼっち」で、せいぜい10人ほどだったはずのゼミの同級生すら、申し訳ないけど誰一人、今となっては顔も名前も憶えちゃいないというありさま。

いずれにしても自然に生きててそうなったんだからしょうがないし、もっと仲よくなっておけばよかったと後悔することもありません。時を戻して同じ顔ぶれでやり直しても、結果は同じでありましょう。「小中からの親友がいるから別にいいや」で終わり。

 

そんな孤高の修行僧を気取る私ですが、やはり人の子(推定)。人と人とのふれあいや絆に、ふと羨望を感じることなんかもあったりします。

例えば、休日に公園でバーベキューなどしている人たちを見かけた時。みんなでわいわい、いいなあ、楽しそうだなあ……。

決してお肉が食べたいわけではない。いや、お肉も食べたい。できれば焼きそばも。ただそれ以上に、仲のよい人が集まって語り合い、笑い合う姿を見て、単純に羨ましく思ってしまう。

それから、芸人さんやミュージシャン、スポーツ選手たちのいわゆる「下積みエピソード」にも、ある種の憧れを感じることがあります。

身一つ、夢一つで飛び込んだ厳しい世界で、仲間たち、時にライバルたちとも助け合い、やがて世に出たのちにみんなで振り返って「あの頃は大変だったよなあ」なんて笑いながら語り合っているのを聞くと、いいなあ、と思ってしまう。

「他人事だと思って」と怒られてしまうかもしれない。実際、お金がなくて苦労したり、無名ゆえの理不尽な扱いに涙を吞んだ、なんてことも多々あったことでありましょう。あるいは第5次元でも触れたように、この類の話には多分に「編集」が施されていること、そして何より「人と比べることに意味はない、自分には自分の人生がある」というスピリチュアルな正解を忘れてはなりません。が、その上で、それでもなお、腐れ縁すらなかった私などは、ちょっと羨ましく思ってしまうのであります。

 

ただこれにしたってやはり時を戻してやり直したとして、結果はそう変わりますまい。大学生にもなって講義中にどんちゃん騒ぎしてるような人たちとは、何度出会っても仲良くなれる気がしません。

また違う側面から見れば、そういう連中のうちにも、もしかしたら互いに助け合い、切磋琢磨し合える人物がいるかもしれないという一縷(いちる)の希望に賭けて、そういう人を探し出そうと努力することもない、ということにもなりましょう。そうまでして人との出会いを自分からぐいぐい求める熱量は、今も昔も持ち合わせていないというのが実際のところ。「俺、つるむの嫌いだし」とか言ってっから誰ともつるめなかったんだよ、ってえ話です。それがいいとか悪いとかの問題ではないし、残念と言えば残念だけど、やはり後悔はしていません。私の今生の人生において、必要だったか否かの問題。それだけのことです。

 

またまたそんな孤高の修行僧を気取る私ですが、意外なことに街で知らない人から声をかけられることがしばしばあります。写真撮ってとか道教えてといった軽めのものから、「切支丹(キリシタン)になりませんか?」とか「うちの店でバーテンダーやってみない?」などなどトリッキーかつストロングなものまで、様々なお声がけをこれまでいただいてまいりました。

切支丹へのお誘いは30歳前後の一時期なぜか集中しました。いよいよ日本の修行僧からキリシタンモンクへと変貌を遂げるのかと少々心配にもなりましたけど、私は私でその手の話は当時から嫌いではなかったので、けっこう話し込んじゃったりもするわけです。

 

とりわけ印象的だったのが、札幌の大通公園で出会った若い男性二人組。日本人とハワイご出身の方のコンビ(?)でありましたが、ハワイの方の日本語がとても流暢で、さらに来日してまだ3か月ほどだというからびっくり。で、向こうは向こうで、例えば「『よげんしゃ』ってどんな人か知ってますか?」という問いに私が「神様から授かった言葉を人々に届ける人」と答えたりすると、びっくりする。

――こやつ、できるな。

とまで思ったかどうかは知らないけど、でも実際彼ら曰く、この質問をするとみんな「いついつに地球が滅亡します」とか「〇年後にあなたはハゲます」とか言う人、すなわち「予言者」の意味で答えるんだとか。「『預言者』の意味で答えたのはあなたが初めてです」と彼らはいたく感激してくれて、その後彼らは一神教たるキリスト教の素晴らしさを、私は多神教たる神道や、自然界のあらゆるものに神を見出す日本的なアニミズム信仰などを語り、おそらく30分かそれ以上、大通公園の一角で立ち話を決め込んでおりました。

結果的に入信こそしなかったものの、お互い楽しく有意義な時間を過ごすことができ、その証として別れ際に堅く握手を交わしたことを、今でもよく覚えています。

 

その一時期以降はキリシタンへのお誘いを受けることもなく、私は相も変わらず孤高の修行僧を気取っているわけでありますが、知らない人から声をかけられることはやはりけっこうあったりします。

今年、2021年の春まで、3年ほど暮らした都内某所の六畳ワンルームの近所には、中川というまあまあ大きな川が流れていました。土手が遊歩道になっていて、気持ちのいい場所だったのでよく散歩したものでした。

ある日の夕方、いつものように風に吹かれてゆるゆる歩いていると、後ろから歩いてきた人が、私と並んだタイミングで声をかけてきました。

「よく散歩するんですか?」

声の主は年配の男性、話しぶりも足取りもまだまだしっかりされています。七十代半ば、といったとことでありましょうか。

「ええ、気持ちがいいのでよく来ます」と私。

「そうですか。私は足腰を鍛えるために、あそこの木のところまで毎日行って帰ってくるっていうのを続けてるんですよ」

「いいですね、けっこうな運動になるんじゃないですか?」

「うん、おかげで今年九十四になるけど、まだまだ元気にやらせてもらってますよ」

へえ、そうなんだ。

……え?

え? ええ!! き、九十四!? 見えん。お世辞でも何でもなく、まじで。八十代にも見えん。

驚きに言葉を失う私に、ご老体は一言「お互いがんばりましょうねえ」と言い置いて、ゆるゆる歩く私を颯爽と追い抜いて行かれました。

 

またある日の昼下がり。ゆるゆる歩いていると、土手の下、ちょっと離れた川辺のほうから声がかかりました。

「ちょっとー、これ、見てくださいよ!」

見れば釣りをしている人の手元に、遠目に見ても立派な魚がぶら下がっています。

「おっきいですねー、何ですかそれ!」と私も声を張り上げます。

「すごいでしょ、これね、クロダイですよ!」

へえ、そうなんだ。

……え?

ええ! クロダイ? あの、高級なやつ!? っていうかそれ以前に、ここ川すけど……?

「海から遡ってくるみたいでね、たまにかかるんですよー!」と釣り人が付け加えると、私のほかにもちらほら人が集まってきて……。

 

ってなことがあったんすよと、何かの流れで師匠に話したことがありました。それに応えた師匠の言葉が、孤高気取りのなんちゃって修行僧の、実は本質なのでありましょうか。そしてそれに対して「うーん、そうなんすかねえ……」と、なぜか素直に頷けない私の意識の底にあるものとは、一体何なのでありましょうか。そろそろ頷くべき、認めるべきもののような気もしなくはないのですが、はてさて。

 

師、応えて曰く。

「そういうことがあると、ほんとは自分が人好きなんだってことがわかるでしょ?」

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