3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第7次元  リアルに食えない――「プリン・アイス事変」始末。

「食える、食えない」というと、俗に食い扶持(ぶち)、すなわち経済力の程度の表現であったりします。「パチプロじゃやっぱ食えないからユーチューバー目指します」と言う人はつまり、パチンコでは生活に十分な収入を得られない人、ということになります。

彼にユーチューブで食える未来が訪れるかどうかは別として、しかしながら人間お金さえあればものが食べられるわけではありません。2兆持ってても食えん時は食えんのです。半月ほど前に、私はそれを身をもって経験しました。

 

体調を崩したわけでも、両腕を骨折したわけでもありません。さすがに2兆はなくとも、2千くらいなら軽く持ってます。2千、円なら。

 

なのに、食えない。なぜか?

そう、あいつです。直径5ミリの悪魔、ピンポイントで確実に人の弱点を突いてくるあいつ。

その名は「口内炎」。

 

皆様もご経験がおありでございましょう。唇の裏なんかにぷつっとあるだけでまあ痛い。それがね、舌の左サイドの裏側に、特大サイズのやつができてしまったわけですよ、僕なんかは。

食べ物が直接当たってしみるのは当然ですが、舌の裏というのは咀嚼する時に歯に当たるので、味の濃いものや熱いもの、堅いものや鋭利なものを避けても、痛みは避けられません。結局、何を食べても己の歯で患部を攻撃することになるのです。

 

地獄すよ、まじ。リアルにまともなメシが食えない。

 

例えば、パンなんかも駄目。軟らかいとか関係ない。ちょっともぐもぐするだけで患部に歯が当たり、激痛が走る。というか、1もぐで1ヒットするから、もぐもぐはできない。1もぐ1ヒット1悶絶。これをちびりちびり、泣きながら繰り返すわけです。

 

パンが駄目なら、もう固体は全般的にNG。米とか麺なんて夢のまた夢。ただ、最低限のエネルギーだけは摂取せねば、ということでチョコレートを一つ、口に入れてみる。これならノーもぐでいける、と思ったらまさかの大誤算。ノーもぐで溶けたまでは目論見通り。が、何の成分が原因かわかんないけど、とにかく油気があってねっとりしたものがずっと患部にくっついたままの状態がキープされ、それに伴って激烈にしみる状態もキープされた結果、やはり悶絶の憂き目を見るのでありました。

六畳一間のアパートの一室でチョコを頬張った男が突如謎の悶絶。もはや毒殺現場かサイコホラーにしか見えない状況をどうにか乗り切りはしたものの、こうなるともう、何も食べたくない。お腹は減るけど、こんな痛い思いをするくらいなら食べないほうがまし。

とは言え本当に何も食べないわけにもいかず、試行錯誤を重ねた末に出した結論、それは。

 

プリンとアイス。

 

――私、プリンとアイスしか食べられないの。(43歳男性/東京都)

 

プリンとアイスで飢えをしのいでは、舌に軟膏を塗りたくる。そんな自動的プチ断食生活を三日ほど送る羽目になりましたが、おかげさまで生き延びることができ、今こうして超面白ブログを綴ることができているのであります。

 

 

スピリチュアリズムでは、現実はすべて意識が作り出していると解釈します。良かれ悪しかれ(良い、悪いというジャッジもスピリチュアリズムでは本来しませんが)、現象は高次元の意識が3次元化、すなわち物質化したものであると考えるのです。

であるならば、今回私の身に起きたこの「プリン・アイス事変」とは一体何だったのか。私の中にあるどのような意識がこれを引き起こしたのでしょうか。

こんな時、師匠はよく高次の意識「ハイヤーセルフ」に訊いてごらん、と言います。どうすか、こういう言葉使うとこんなふざけたブログでも何か急にスピリチュアルっぽくなるでしょ?

 

ですが。

大変残念なことに、この「プリン・アイス事変」に関しては、ハイヤーセルフ閣下の出番なし!

閣下にお尋ねするまでもなく、わかっちゃったんすよね。「プリン・アイス事変」の原因たる意識とはつまり。

 

メシめんどい。

 

生来食への関心が薄い私には「おいしいものを食べたい」という願望がほとんどないのです。無論、率先してまずいものを食べたいという願望もないですが、例えばグルメサイトをチェックするとか、人気のお店に並ぶとかいったことは一切しません。数百円でおいしいものがいただけるお店がいっぱいあるんだからそれで十分。実際、そういうお店で激マズ地獄を見た、なんて経験もありません。

 

食べることへの興味がこの程度なんだから、作るとなったらもうね、あれですよ。「おいしいものを食べたい!」って思わないんだから、「おいしいものを作りたい!」なんて思うわきゃない。

栄養には多少気を使っているのでインスタントばっかというわけでもありませんが、「自炊」と言うにはちょいとお粗末。電子レンジやらIHコンロやらハイテク機器を駆使しつつ、やってることは縄文人レベル、いや縄文人をなめてはいけない。土器などを見てわかる通り、彼らの文化、精神レベルは非常に高い。私などよりも美味への探求心ははるかに強かったかもしれない。

となると、私の料理は石器時代の「加熱処理」レベルということになりましょうか。生で食べられないものにとりあえず火を通し、あとは何らかの塩気を多少加えればOK。素材の味にすべてを賭けた、人類の黎明期を思わせる一品を、大自然の恵みそのままにいただく。名付けて「原始御膳」。

 

別にいいじゃん。そら、人様から銭取ってこれ食わしたら敗訴確定だろうけど、己でこさえて己に食らわす分には何も問題ありません。原始御膳、意外といけますよ。

 

ただ、それならそれで、しっかり味わいながらいただかなきゃね、ってことなんだと思うのであります。

 

禅の言葉に「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」というものがあります。禅においては食事も修行、お茶飲むならお茶を、ご飯食べるならご飯を、しっかり味わう。私語を慎み、雑念を払い、ただ一心に味わう。それは「今ここのみに生きる」ということでもあるのでしょう。

 

めんどいけど己で作んなきゃしょうがないからっつって適当に作ったものを、テレビ観ながらなんとなく流し込む。

んなことやってるとね、例の平たいバットみたいな棒の、たぶん角で脳天いかれるんでしょうな。和尚のフルスイングで。

 

幸い私は禅僧ではないので流血沙汰は免れましたが、代わり、と言うのもなんですが、口内炎による自動的プチ断食から学ぶ機会を与えられたというわけです。

 

念のため申し上げますが、これは罰(ばち)ではありません。有り難い学びの機会です。食えることの有り難みを、身をもって学んだのです。別にこれを機に禅の修行を始めようとか、グルメに目覚めようとかいうわけではもちろんないけど、「プリン・アイス事変」というまさに「食えない」時を経た今、命の源たる食への意識は、多少なりとも変わらざるを得ません。

テレビ観ながらでもいい。インスタントでも、原始御膳でもいい。ただ、いただきますと手を合わせ、できる限り味わい、ごちそうさまと手を合わせる。それだけでも、食べられることへの感謝の気持ちを表すことはできます。今後プリンやアイスをいただく時なんかはもう、私は泣いてしまうかもしれない。

第3次元でも申し上げましたが、一見災難とも思える出来事でも、自分の解釈次第で有り難い、貴重な学びの機会になり得る、ということを、今回私は「プリン・アイス事変」の経験を通して皆様に改めてお伝えいたした次第でございます。

 

というわけで今回はここまで。次回は「奥様必見! 原始御膳秘密のレシピ大公開!!」です。お楽しみに!

 

……ええ、嘘すよ。当たり前じゃーん。