3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第16次元  追想3.5次元――世間がどう 時代がどうとか 知らねえよ

前回の続き、樹海のセーブポイントからゲーム、じゃなくてお話を再開いたしましょう。

 

プログラムの授業における惨敗、並びに映画『もののけ姫』との出会いにより、私は大学に通う意味をきれいに見失いました。ゲーム制作への関心が薄れた上に、己の、さらには人類の存在意義にまで疑問を抱き始めてしまった私にとって、コンピュータや経営、経済を学ぶ理由はもはやありません。

2年生、3年生で、単位、落としまくります。卒業、危うくなります。

元より「大卒」の肩書き自体にはまったく興味のなかった私は、この頃本気で「辞めてもいいかな」と思っていました。が、自分の意志で選んで入った手前そうもいかず、ひたすら悶々と過ごしていました。経営学科に通いながら、考古学や民俗学の本を読み漁る。人は樹海に迷い込むとこうなります。

 

樹海暮らしに一筋の光明をもたらしたのは「卒論」でした。3年生で「ゼミ」という専門的な授業を各々選択し、そこでの研究を基に4年生で卒論を書く、つまり2年間同じゼミに所属するというのが通例なのですが、私の場合ここで一つ、ある種の「導き」とも言える流れが起こります。

3年生で所属した経済学のゼミの先生が、その年度限りで他校に転勤することになったのです。他のメンバーは新任の先生のゼミにそのまま所属したようですが、私だけは、卒論に選んだテーマに適しているから、という先生の計らいで、元々あった環境問題のゼミに「移籍」したのです。

3年生の時は「大量生産・大量消費・大量廃棄」の経済システムが人類を堕落させたのだ!! みたいな流れで行けば、経済学を隠れ蓑に、当時最も関心のあった「この世界における人としての生き方、在り方」といった要素も多少は盛り込めるかも、くらいで納得していた私ですが。

 

この「移籍」を機に、暴走を始めます。

民俗学、ぶっ込みます。

 

かくして3年生からのトータルの流れで、経済学から環境問題、環境問題から民俗学、という、暴挙以外の何物でもない展開で卒論を書くことに成功したのです。くれぐれも申し上げておきますが、経営学科での話です。

しかしながら、4年生になって初めて大学で夢中になって取り組めるものに出会えたというのもまた事実。関係する資料を集め、それを基に考察し、自分の「論」を構築し、文章として表現する。私にとってこの経験の価値は計り知れず、結果論的に言うなら、これを経験するためだけに大学に入ったと言っても過言ではありません。

論文の内容についてはのちの機会に譲りますが、言うまでもなくそこには多分に「スピリチュアルな」要素が含まれていたりもします。そんな私の暴挙の集大成たる卒論を「論文というよりは読み物みたいだね」と面白がって受け入れてくださった先生、そして私の研究テーマを考慮して移籍の手筈を整えてくださった元のゼミの先生に、ここで改めて感謝を申し上げる次第であります。ほんと、変な卒論出してすいやせんした。

 

ともあれこの卒論を書くことによって、自分の人生の基本方針を、生涯で初めて、明確に打ち出すことができました。ごく簡単に言えば「あなたは目に見えない世界を信じますか?」という問いに、ちゃんと「はい」と答えた、ということであります。無論それは、幽霊がいるいないのレベルのお話ではありません。お金や権威、権力を含めた物質至上主義とは異なる原理で成り立つ世界がきっとある、という大前提の下で、己の生き方在り方を探求する。そういう人生にしていこう、というか、そういう人生になっていくんだろう、ということが、大学を卒業する頃に何となく見えてきたのでありました。

 

こうして振り返ってみると、学歴を終える頃にはすっかり「出来上がって」いた、すでに「こちら側」に片足突っ込んでいたようにも見えますが、この時点ではまだ、いわば「客観視」の状態。第2次元でもちょっと述べていますが、目に見えない世界があると信じつつも、それにすがりも頼りもしない。その世界を生き抜くのはあくまで自分であり、行く道は己の力によってのみ切り拓くことを理想とする。この時片足を突っ込んでいたのはまさに「なんちゃって修行僧」の世界だったのでした。

 

長い長い「なんちゃって修行僧」時代の詳細はおいおい語るとして、ここでは今回の一応のテーマ「価値観」にフォーカスして話を進めましょう。

 

暴挙の果てにめでたく大学を卒業した私は、当然の如く就職を、しませんでした。

度々申し上げるように、世の中不景気真っ只中、のちに「就職氷河期」と呼ばれる時代のこと、なのですが。

この件に関しては、不景気も氷河期も関係ありません。

 

だってしてないもーん、就活。一個も。

できたできなかったの話じゃない。就職「しない」という選択をしただけの話、それも熟慮だ決断だなんて大層なものでもなく、言ってしまえば「直感」に従ったまでのこと。ゲーム制作にしても、どこぞの社員になってまでやりたいとは思えず、むしろ「正社員」という言葉に、ある種の拒否反応すら感じていました。

 

どこの会社で何の仕事をするかに関わらず、就職して正社員になることは、私を幸せから遠ざける。

 

直感、あるいは当時の世相から得た肌感覚から、そういう結論に至ったのでありました。

で、その直感、その肌感覚が、少なくとも私にとっては正しかったことは、今に至るその後の二十年の間で十分証明されたと言ってようございましょう。第0次元でも述べた通り、実際この二十年の中で生まれたのが「ブラック企業」であり「社畜」であり、バリエーション豊富な各種ハラスメントであり、その結果としての「人の使い捨て」であったわけですが、おかげさまで私はそういうものとの縁を皆無とまでは言わずとも、最小限にとどめて過ごすことができました。ゲーム業界の変遷という観点でも結果は同じ。仮にその世界に入っていたとして、どこかの時点で「金払えば強くなれるゲームなんざ作りたかねえ!」っつって辞めてたろうね、絶対。

 

で、晴れて世に言う「フリーター」の身となったわけでありますが、時同じくしてこの頃、世の中の一部でフリーターを持て囃すような風潮が見られました。「これぞ新時代の生き方、組織にしがみつく生き方はもう古い!」といったような論調で、「就職できずに仕方なく」ではなく「自分の意思で積極的に」フリーターになるという選択が、新しい働き方として脚光を浴びていました。

それはそれで大いに結構でござんしょうが、それに気をよくするほど、私は素直な人間じゃあござんせんでした。私は私がよりよく生きるための選択をしただけで、別に新時代のトレンドに乗っかろうとかしてないし、そもそも時代がどうだからこう生きようなんて考えは、当時も今も、微塵も持ち合わせておりません。時代がどうとか世間がどうとかいう価値観は、全部あの世に置いて生まれてきた。そうとしか思えないくらい、私にはその類の感覚が欠落しているのであります。

それは物に対しても同じで、世間での流行や評価と、私の趣味嗜好との間には、何の相関関係もありません。巷でどんなに流行ろうといらんもんはいらんし、評価されなくとも好きなもんは好き。決めるのは私です。

 

例を挙げるとなるときりがなさそうですが、ちょっとだけ出してみましょう。

それこそ就職などしてそこそこ稼ぐようになると、特に男子には車を持ちたがる人が多いようですが、私は車にまったく興味がありません。札幌にいた時は軽自動車を所有していましたが、それはあくまで生活のため、仕方なしに、です。北海道に住んだことある人ならわかると思うけど、冬なんかは車ないと買い物もままならんのですよ、ほんとに。

でもね、ベンツに乗りたいとか、なんちゃらGTターボカスタムみたいなのが欲しいと思ったことは一度もありません。もちろん、本当に好きなら乗ればいい、買えばいいんですよ。「好きな車に乗ることが何よりの幸せ」という価値観の人もいるでしょう。ただ、私はそうではなかった。ブランド服やバッグなどについても同様。私はまったく興味ないけど、世の中にはそれらを求める人々が相当数いるようです。やはりこれらも本当に好きならいくらでも持って、幸せや豊かさを味わえばいいと思います。事実、師匠も「清貧」をよしとはしません。

 

ただ、それらは時に「ステータスシンボル」みたいな言われ方をします。これは……、ちょっとね。

 

「あなたをワンランク上のステージへ」

(笑)

 

ワンランク上と思われたいだけなら、やめようね。

 

最後に、じゃあお前さんはどうなんだい? という話ですが、無論私とて無欲ではありません。欲しい物は欲しいです。で、私が欲しくて手に入れた物の中で、金額的にもスペース的にも大半を占める物は何かというと、それは「絵」です。絵画。

足掛け20年で十枚ほど所有、軽自動車新車3台+中古1台分くらいお金使いました。

ドン引き上等。引きたくば引くがよい。余は満足ぢゃ。

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