3.5次元くらいが一番しんどい。

アセンション途上(?)おじさんのヒーラー修行ドキュメンタリー。

第1次元  これから「建設中のスカイツリー」の真似をします!

就職氷河期真っただ中の2000年に大学を卒業し、非正規街道をのらりくらりと20年ほども歩んだところでまさかのヒーラー修行。そんな私がこのブログを始めた目的を、簡潔な一文で表すとこのような具合になりましょうか。

 

人類のために、我が身を供した「中長期的人体実験」を敢行し、その過程を公開するため。

 

……まあ、聞いてください。

おそらくこのブログに興味を持ってくださった方々は、これまでに少なからず、いわゆる「スピリチュアル本」をお手に取られたことがございましょう。その中で、こんな風に思ったこと、ありませんか?

 

・内容は素晴らしいけど、書いてる人が生まれつきの霊能者なので同じ感覚を共有できない。

・内容は素晴らしいけど、書いてる人が臨死体験者とか特殊すぎて同じ感覚を共有できない。

・内容は素晴らしいけど、書いてる人がヨガマスターとか禅僧とか神すぎて同じ感覚を共有できない。

 

どうですか、あるでしょう? で、私を含めこの世のスピリチュアル一般人全員が抱くこれらのモヤモヤ感を一言で表せば。

 

「そりゃそう、だけどさ……」

 

決して非難するつもりはありません。あくまで著者は本当に能力のある方で、内容も全て本心、その方から見た世界の、あるいは宇宙の真実である、ということを大前提として、そして私自身も相当数の「スピリチュアル本」を読み漁って学ばせていただいた身として、その上で私の結論を敢えて言わせていただくならば。

 

もう「上がっちゃった」人たちの感覚を、言葉のみを介して理解するには限界がある。

 

例えば。

・片足を地面に着けてサドルに尻を乗せ、もう片方の足をペダルにかけ、左右のハンドルを両手で軽く握る。

・足をかけたほうのペダルの位置を、足の甲側で前に蹴り上げるようにして空回りさせて、高い位置に持ってくる。

・高い位置に持ってきたペダルを、今度は足の裏側で踏み込む。するとその力がペダル側のギアから後輪のギアにチェーンを介して伝わり、後輪が回って本体が前進を始める。それと同時に地面に着いていた方の足を地面から離す。

・先に踏み込んだ方のペダルは半回転して低い位置に来ているので、入れ替わりに高い位置に来た反対側のペダルに、地面から離した足を乗せて踏み込む。これを繰り返す。

・このようにして後輪に動力を送り続けることによって、安定的に走行することができる。スピードに乗り切れないうちは多少不安定になるが、怖がらずに左右のペダルを踏み込み続ける。また、ハンドルを握る手や肩に余分な力が入っているとスムーズに操作できないので、上半身は常にリラックスさせておく。

 

私自身ウン十年前に体得した自転車の乗り方を言語化、当世風に言う「トリセツ」化してみました。わかる人、乗れる人からしたら、一体何を当たり前のことを長々と、という話ですが、じゃあ。

 

自転車に乗れないあなたもこれさえ読めば今日から憧れのサイクリングに!

ってなるかと言われれば、答えはほとんどの場合、NOとなりましょう。

私としては懇切丁寧、「日本一わかりやすい」をモットーに書いたつもりですが、乗れない人からしたら「それ言っといてくれないとさあ」というところが多々あるはずだし、何より最後の方の「怖がらずに」とか「リラックス」とか、これが大問題なのです。つまり。

 

「怖がらずにリラックスしましょう、って言われてもできないので、どうやったら怖くなくなってリラックスできるのか教えてください」

「それは感覚の問題だから言葉では教えられません。ですから感覚を掴むまで練習しましょう」

「では、どうやったら感覚を掴めるのか教えてください」

「ですから、掴むまで練習を……」

 

この問答が一生続くわけです。まあ、自転車くらいなら実際に乗れる人は身近にたくさんいて、その人たち、多くの場合ご両親の指導で、多少擦り傷こさえながらも実践を繰り返して、最終的にはほとんどの人が乗れるようになります。

ただ、同じことが我々スピリチュアル一般人と「上がっちゃった」人たちとの間で起こっているのだとしたら……?

 

重ねて申し上げますが、「上がっちゃった」著者は手抜きも意地悪も一切せずに言葉を尽くしてくれているはず。それは無条件で信じましょう。でも、言葉を尽くしても伝わらないことも多々あり、得てしてそれらが「肝」であったりすることもまた事実。そしてそれこそが「スピリチュアル本」を何十冊読んでもスピリチュアリズムを体得できない原因ではないか。これが私自身の経験から導いた、私なりの結論です。

感謝をしましょう、自由になりましょう、嫌いな仕事は辞めましょう、お金の心配はやめましょう。

……って言われてできるなら苦労しないよ、と思ってきたわけですよ、僕なんかは。本読む度に。

 

しかし逆を言えば、スピリチュアリズムを体得したいと思いつつ、本しか読んでこなかったわけですよ、僕なんかは。先の例で言うなら「自転車の乗り方」の本を何十冊も読んだだけ。本当に自転車に乗りたいならまずは自転車を用意して、実際にまたがって、ハンドル握って、補助輪付き(懐かしい……)でも何でもいいから漕いでみて、乗れる人に教えてもらう。これくらいはしますよ普通。

本読んだだけで自転車なんか乗れるわけないじゃん、と言いながら、本読んだだけでスピリチュアリズムを体得できると、どこかで思っていた。なんて図々しい、っていう話ですよ、考えてみれば。

 

しかしさらに逆を言えば、然るべき場所で、然るべき人に指導を仰ぎながら、見よう見真似でも何でもやってみる。本など参考にしつつ、とにかく実践してみる。わからないことはわかる人に聞いてみる。できないことは何回もやってみる。そうすることで、スピリチュアルな感覚を体得することも、あるいは可能なのではなかろうか。

 

その検証をするにあたって、今の私は絶好の条件下にあると思うのです。

まず、私の師匠は元々はスピリチュアル一般人、大師匠(!?)から学んでヒーラーとしての能力を後天的に習得し、現在プロのヒーラーとして活躍されている方であること。次に私自身、生粋のスピリチュアル一般人であることは先述の通りですが、それに加えて前回お話ししたように、「3次元世界の限界」を身をもって感じやすい世代に生まれたこと。裏を返せば「3次元的な幸福」を享受しづらい世代ということにもなりますが、いずれにしろスピリチュアリズムに関心を持ちやすい環境にあったかとは自分でも思うところであります。また2021年1月現在で43歳フリーターという条件も、ある意味背中を押してくれます。もうね、やらなしゃーない。

 

いかがでしょうか。冒頭に挙げた、

「人類のために、我が身を供した『中長期的人体実験』を敢行し、その過程を公開するため」

というこのブログの目的、ご理解いただけましたでしょうか。

 

師匠は「スピリチュアルな感覚は、決して特別な人だけが持つ特別なものではない」と言います。「みんな持っているけど忘れているだけだから、思い出せばよい」と。

 

東京スカイツリーが建設中だった頃、この光景は完成したら二度と見られないからとその様子、建設の過程を毎日写真に収めることがちょっとしたブームになりました。

私もそれに倣って、スピリチュアリズム体得までの過程を晒していこうというわけです。完成してしまえば建設中の姿は見せられないし、自転車に乗れてしまえば乗れなかった時の感覚は思い出せない。そんな建設中の、あるいは擦り傷製造中の今の私だからこそ見えるもの、わかることをリアルタイムで発表していくことで、何かの役に立つかもしれないし、自分自身の発見にも繋がるかもしれない。途中で間違ってやり直しになるかもしれないし、そもそも完成しないかもしれないし、きれいに崩壊(!)するかもしれない。でも、もしうまいこと完成したら、師匠の言うことに、微力ながら説得力を加えることができるかもしれないし、読んでくださる方々に、こいつができるなら俺も、私も、と思ってもらえるかもしれない。

 

そんな「かもしれない」ばっかのふわふわブログになっていくこと請け合いですが、そんなもの「かもしれない」と思って今後もお付き合いいただければ幸いであります。よい子はまねしないでね。